小規模自治体の先進的取り組み――山形県最上郡戸沢村

 地方自治体の規模について考えたいと思います。いわゆる「平成の大合併」の時期も過ぎて自治体の数は3,000以上から1,700余りに減りました。その後、時代は令和と変わりましたが、そのとたんに大規模災害が続いただけでなく、2020年からは新型コロナウイルスの拡大が続いて、緊急事態宣言が2回にわたり発出されたのは記憶に新しいところです。こうした危機の時代における自治体の規模は、あまり大きくない方が良いのではないかという仮説を持っています。小規模であるから、小回りが利いた行政のサービスが可能となるのではないでしょうか。

 その意味で「平成の大合併」を経ても合併せずに維持されている小規模自治体、言い換えれば地方都市の町や村は何か個性があるから残っていると考えたいです。そうした観点から山形県最上郡戸沢村を見てみます。  


 『都市データパック(2020年版)』によると、戸沢村は山形県の県北に位置し、中央に最上川が流れ、農業が主産業だが、最上川舟下りなど観光業が盛んとあります。人口約4,500人程度の自治体であるが、その面積は261.31㎢、財政力指数は0.16、65歳以上人口の比率を示す高齢化率は38.45%である (東洋経済新報編集部編,2020:323)。  

 この数値からは、戸沢村には最上川下りの観光業があるのが特徴ですが、村の財政は国からの地方交付税に助けられていることがわかります。それよりも戸沢村は村としては広い面積なため、人口が散らばって住んでいるところで高齢化が進んでいると考えられます。

 その例として、しばらく前の『朝日新聞』に「たった1人の生活」と報道された最上川沿いのある集落(『朝日新聞』2007年5月13日朝刊31ページ、山形全県版)は、その最後の住民が息子さんと一緒に暮らすために引っ越しをしたので、集落の人口がゼロになったとのことです。2014年に、いわゆる増田レポートで都市の消滅可能性が論じられましたが、現在の日本で自治体そのものが消滅した例はありません。しかし、このように集落の人口がゼロになることによって、実質的に集落が消滅状態になってしまうことが起こっているということです。この集落の場合は、最上川に橋が少なくて生活に不便であることや、2018年8月には豪雨による浸水があったことも住民がゼロになった理由であると考えられます。 

 こうした戸沢村ですが、全国に誇れることは1938年に国民健康保険法が公布されて、その認可をうけた第1号ということです。国民健康保険というと、わが国では1961年に皆保険になったので、今では健康保険証を持っているのが当たり前のように思いますが当時はそうではなかったわけです。

 佐口卓先生の『国民健康保険―形成と展開』(1995年、光正館)によると、その頃の戸沢村は、最上郡角川村だったので、角川村保険組合が設立されたのは1935年12月28日のことでした。これは法律の施行に先立って、内務省社会局で制度を実験するために、米山梅吉が理事長だった三井報恩会が助成をしたことから、「国保類似組合」と呼ばれます。このように成立した組合は全国でわずか12なのです。

  この当時の健康保険は現在の国民健康保険制度とは異なりますので、任意に組合として設立され、加入も任意だったものです。山形県の歴史を研究している大友義介氏によると、戸沢村では約300世帯の全てが加入して、保険料は所得に応じて月4円から20銭だったということです。村民にとって、それまでは置き薬を飲んで寝ているぐらいで、病気でもないのに保険料を払うことには抵抗があったと考えられ、医者を呼ぶのはいよいよいとなって死亡診断してもらうというのが現実だったのが、「病気になったら医者に行く」という考え方が農村に出てきたのは画期的なことだった (『朝日新聞』2012年9月15日夕刊4ページ) と述べられています。

 現在の国民健康保険制度とは異なる制度ですが、学ぶべきことはこの制度をつくるときに村長や村職員と県職員が各集落で座談会を開いて組合の必要性を説いたということです。こうしたことが、今で言う小規模自治体の先進的取り組みを可能にしたと思います。

  任意で健康保険の組合をつくった過去の努力を忘れずに、日本で最も3世代同居の家族が多い=1人暮らしの高齢者が少ない山形県で、これからは戸沢村独自の福祉のまちづくりの取り組みを考えていけば、市町村合併を行わないで小規模自治体の自立性を維持したメリットが必ずや出てくることだろうと考えています(高木俊之)。