オープンセミナー「戦争体験から考える」が開催されました。

オープンセミナー「戦争体験から考える」が開催されました。
10-303教室で開催されたオープンセミナー
10-303教室で開催されたオープンセミナー

人間環境学科社会環境課程では、いのちの大切さ、平和の尊さ、自由の意味について考えようと、 2013年10月25日(金曜)、13:25〜14:55 東海大学湘南校舎 10号館10-209室で 社会環境オープンセミナーを開催しました。

15歳で海兵団に入団した西崎信夫氏の講演
15歳で海兵団に入団した西崎信夫氏の講演

講師の西崎信夫氏は、三重県の9人兄弟の貧しい家庭に育ち、母や姉を貧乏から救おうと思い、軍人になろうと決心しました。 そして、1942年9月、15歳で日本海軍特別年少兵(少年兵)として、広島の大竹海兵団に入団しました。郷里を去る時は、村長、校長、駅長など村の600名が盛大な出征式(歓送会)を開催し、祝辞をもらって大感激したそうです。「一命にかえてお国のためにご奉公してきます」けと挨拶をしたものの、出発した列車を追ってきた親友が「のぶちゃん、死ぬなよー」と追いかけてきたとき、はじめて死を意識したそうです。また、母親が一人立っていた姿、その時の面影も忘れられないものだといいます。

平和の尊さを訴える講演者の西崎信夫氏
平和の尊さを訴える講演者の西崎信夫氏

海兵団の入団式では、セーラー服をきて歓迎されましたが、翌日から、たるんでいるとみられると、往復ビンタ、樫の木の棒で尻をたたくなど、厳しい訓練や罰懲(体罰)に耐えなければなりませんでした。1年後、横須賀海軍水雷学校に入学して、魚雷について学び、1943年11月、駆逐艦「雪風」に魚雷係として乗り込みました。その後、1944年、マリアナ沖の日米空母決戦、レイテ沖の艦隊殴り込み作戦、当時世界最大の空母「信濃」の護送作戦に参加し、1945年4月には、戦艦「大和」とともに、沖縄水上特攻に加わりました。終戦後は、海外に残された日本兵の帰国(復員)輸送に従事され、駆逐艦「雪風」を戦時賠償として中国(中華民国)に引き渡しました。

西崎信夫氏の生きた時代、当時の教育、戦争体験、平和と家族への思いを聞いて、学生たちは次のような感想を寄せています。(一部省略の上引用)

*私は今18歳で、西崎さんからどう見えるだろうと思いました。友達を亡くしたこと、戦争も経験したこともないし、両親のおかげで大学に通わせていただいて、貧しいなどと思ったこともありません。私は、お話を聞きながら、この環境を無駄にしてはいけないと思いました。
*現在の自分たちと同じ年齢の時に戦争を体験した西崎さんのお話は、今の自分たちの生活とは程遠い内容ばかりだった。死と隣り合わせの日々で生活していた西財規さんは、今でも当時の爆撃負傷の後遺症があり、本当の戦争を経験してきたことが生々しく伝わってきた。昔に比べて、今の社会は便利で平和になった。戦争を経験した人たちも少なくなっており、当時のことが忘れられてきていると思うが、日本が経験した戦争は忘れることなく未来にも語りづいていかなければならないと思う。今のような便利で平和な生活をできていることは、本当に幸せだと感じた。
*沖縄海上特攻で、形見の懐中時計の音が命を削る音のようだというお話は、特攻が生きては帰れない作戦であることがわかっていたからであったと思います。また、大和沈没後、大和乗員の救助では、引き上げ後の安心感からそのまま亡くなる人もおり、大和乗員の3300名のうち、240名ほどしか助からなかったことから、戦争の悲惨さがわかりました。私たちは、戦争を知らない世代であり、また戦争を知る人たちも少なくなってきていることから、戦争を知る人の話を聞き、話を伝えていく必要があるのではないかと思います。
*死に直面し、生死の境目を経験した人は、経験していない人に比べて、雰囲気や人格が格段に違うなと感じました。現在、憲法を改定しようという動きがみられ、憲法三大原則の一つ「平和主義」が揺らいでいます。今の政治を動かしている世代は、戦争を経験しておらず、どこかで戦争の悲惨さを忘れているように感じます。戦争をすると、必ずどこかで不幸な思いをするということをもう一度認識する必要があります。今日の講演は大変貴重なものですので、今後も機会があればどんどん参加したいと思いました。

(記録 鳥飼行博)